初稿: 2024/05/21
気づけば本ブログも一周年。皆様におかれましては、お読み下さりありがとうございます。そんな一周年に記念すべき記事として、10年以上も前の話ですが1記事目に引き続き青森に関する想い出を。

1記事目はこちら。
2013年12月17日 (高1)
寝台特急あけぼの:上野(2116)~青森(0952)

あれはまだ上野東京ラインが完成していなかった頃。東北線・高崎線・常磐線は各々上野駅で折り返す中で、「地下ホーム」*1というのは特別な存在感がありました。勿論、山手線・京浜東北線に乗り換え東京駅を目指す人々(私を含め)にとってハズレ的な立ち位置でもありましたが、東京近辺では珍しい頭端式ホームや中間改札を隔てた特急ホームは、日常の通勤電車とは空気が異なり、異質な雰囲気を纏っていました。中でも特に非日常感を放っていたのは13番線ホーム。今や四季島専用ホームと化していますが、当時は自由に出入りできる通常ホームの一員。にも関わらず人流から隔絶され薄暗さの中に佇むそのホームは、コンサートホールのような上質な静寂に包まれていました。13の数字の横に刻まれた「☆彡」のロゴマークが、特別な輝きを放っています。

今回乗るのは寝台特急あけぼの号。東京(上野)と東北を結ぶ由緒正しき東北ブルトレの末裔です。道中様々な駅で乗客を拾いつつ東京へ向かうという、飛行機では実現できない運行形態で、東北民の上京・帰省の足として一時代を築いたブルートレイン。単に東北行といっても、東北本線・常磐線・奥羽本線・羽越本線と様々なルートで(夜行)列車が同時並行で東北を目指す多様性溢れる時代もあったそうですが、今となっては上越線~羽越本線回り*2の「あけぼの」ただ一往復が残るのみ。そんな「あけぼの」も次(2014年3月)のダイヤ改正で(定期)廃止*3、との発表があったので後悔しないようみどりの窓口に駆け込んだ次第です。まあむしろ、東北新幹線新青森開業以降もよくぞ生き残ったという感じですけど。廃止が決まったとはいえまだ3ヶ月以上余命があったので、そこまでプラチナチケットではありませんでした。

緊張と興奮を胸に、階段を降りて日頃あまり縁のない13番線ホームへ。いつもは閑散としているホームも、この時間帯だけは人だかりができていました。やがて列車接近の案内が流れ、人々の視線が一点に集まります。薄暗い地下ホームに輝点が揺らめき、やがて闇を纏った碧き車体が徐々に大きくなっていきます。機回しの出来ない頭端式地下ホームのこと、上野駅名物の推進回送での入線。ブルートレインの主役たる24系客車に相応しい堂々とした登場です。

やがてガチャリと貫通扉は閉められて。乗車を待つ人々の注目に、煌々と輝く「あけぼの」のテールマークが応えます。もともと夜に映えるブルートレインのこと、上野地下ホームの薄暗さでも青々と輝きます。

車体側面の方向幕には、堂々「青森」の二文字が。まあ新幹線新青森開業以降、東京でも珍しい行き先ではなくなりましたが、それでも上野から長駆800 km弱。期待高まる行き先です。

先頭に行くと、今夜人々を夢へと誘うEF64形電気機関車がスタンバイ。編成中の動力を一手に担う力強い車体に惚れ惚れします。客を乗せることを考慮しない無骨なデザインにこれまた闇夜に似合う上品な塗装、そして中心に誇らしげに掲げられた「あけぼの」のヘッドマークが美しい。まあ、侘び寂びがあって客車とバランスのいいEF65形や、スピード感と力強さを押し出した花形のEF66形もそれぞれかっこ良く、甲乙つけがたいですが。

再び客車を見学しながら、いよいよ本日の寝床たる5号車16番へ。バリアフリーのバの字もないいきなりのステップが、時代を感じさせます。まあ、どうせ車内に入れたところで寝台とかも厳しいですからね。

薄暗い廊下を抜け階段を上ると、「B個室16」の標札が。今回乗るのは開放型B寝台ではなく、B寝台個室ソロ。この扉の向こうは、自分専用の空間です。飛行機のような飾り気の無い扉が、逆に冒険心をくすぐります。

指定された部屋に上がると、いきなり視界に飛び込むシーツのない剥き出しのベッド。一応座席として利用することを想定したモードでしょうか。というか、ベッドを組み立てると部屋には入れなくなりますからね。

というのも、反対側はこの通り。ベッドが折り畳まれており、使用時には入り口を塞ぐようベッドを展開する必要があるためです。とても切り詰めたスペース、良く言えば計算された効率的な空間利用です。

このように本当に寝るスペースしかない個室ですが、開放B寝台と同じ値段で完全プライベート空間が得られると思うとお買い得乗り得な座席。仕切られているか否かで心理的な安心感が全然違います(個人の感想です)。カプセルホテル的な閉塞感は否めませんが私は気になりませんでしたし、ハンモックみたいな折り畳み式ベッドも秘密基地感があって楽しかったです。フルフラットなベッドですし、開放夜行バスとは比べものにならないくらいリラックスできました。

とまあ自室で興奮していると、もう発車時刻。ガチャンと客車特有の衝撃の後、ゆっくり、ゆーっくりと列車は上野駅を滑り出します。古い国鉄時代の客車といっても、最新のE233系とは段違いの静寂さ。車体にモーターがついてないこと、特急型車両であることもありますが、何より騒がしいドアチャイムや自動放送がないことが大きいでしょう。代わりに流れるのは電子オルゴールのハイケンスのセレナーデ。遠い地名の到着時刻案内に、長距離夜行列車を実感します。

山手線と同じ高さへ上がると夜の街へ。夜遅く21:16発の列車なためか、上野発車直後の車内放送を以て今晩の放送は終了、明朝秋田到着20分前より放送再開の旨がアナウンスされました。後は個室内を静寂が包み、レールを跨ぐ音のみがこだまします。室内灯も消してしまえば個室は夜に溶け込み、月明りと時折通過する駅の照明が静かに射し込みます。見慣れた高崎線の車窓も、ベッドに腰掛け2階から眺めるといつもとは違って見えました。

とまあ興奮して寝付けないのは定番のお話。それでもサンライズ瀬戸と比べて終点までまだまだ時間があるのが心の余裕です。寝付けない夜、ふと窓の外を見やると、見知らぬ街の見知らぬ景色が広がっているのが夜行列車の魅力。夜バスでカーテン開けると怒られますからね。


流石にそろそろ寝台にシーツを敷いて就寝態勢に。何だかんだ、日付が変わって関東地方を抜け出し、新潟に入る頃までは起きていました。越後山脈を抜け、窓の向こうに広がる雪景色に満足して就寝。闇夜の雪を、列車の灯りがぼんやりと照らしていました。

時刻は午前6時過ぎ。おぼろげな意識の中カーテンを開けると、白んだ空に日本海が。まさしく「あけぼの」の時間帯。まあ見えているのは日の出ではなく、日本海に沈み行く月ですが。月が沈み陽が昇る。時代の交代を暗示させます。途中止まる駅にも人の気配があり、いよいよ朝の訪れです。いつもであれば朝の支度で忙しいこの時間、ダラダラと布団に寝っ転がっていても二度寝しても、時間通り目的地に辿り着けるのが寝台列車ならでは。

窓の外が明るくなっていくのを感じながらうとうとしていると、ハイケンスのセレナーデに起こされる爽やかな朝。「おはよう放送」が日付の切り替わりを実感させます。顔を洗うついでに車内を散歩すると、ヒルネ*4利用客と共に朝の活気が車内に乗り込んでいました。End to Endだけではなく、部分的な利用ができるあたり、往年の長距離列車という趣があります。いいなあ、寝台特急で通学とかやってみたいです。

秋田駅到着は6時半過ぎ。こまち1号が東京を出る位の時間には秋田に着けるという、夜行列車の優等生ですね。上野からはるばるもう秋田、という感じですがまだまだ秋田。青森へ向けてこれから3時間くらいかけて奥羽本線を駆け抜けます。途中大館駅で名物駅弁の「鶏めし」を購入。事前予約しておけば乗降口前まで持ってきてくれるという、古き良きシステム*5。あけぼのを乗り通す客にとっては貴重な食料調達手段となるのでありがたいです。ご馳走様でした。

途中、山がちな県境は天気が悪かったですが、青森側に出ると晴れ模様。朝ご飯を食べ終える頃には眩しい陽射しが室内を照らします。夜が明けたことを実感し、夜行列車の旅の終点を感じざるをえません。

いよいよ車窓は昼行特急のものに。しかしそれを眺める体勢は寝転がりながらと、個室内は夜とも朝とも言えぬ不思議な空間。はるばる東北の地に降り立つ期待とあけぼのの旅が終わる寂しさとの狭間に、寝台に身体を投げ出すひととき。

新青森でこれからの東北の大動脈・東北新幹線をくぐると、すぐさま終点青森駅。終点を告げる車内放送と共に、個室のドアを開けるガチャガチャとした音があちらこちらから聞こえてきます。上野駅から12時間半、長いようで短かった旅が、終わろうとしています。

上野発の夜行列車おりた時から――そんな夜行列車の存在もあと僅か。冷たい青森の風を頬に感じながら、24系客車のステップを一歩一歩踏みしめます。……と、そんな余韻を噛みしめる暇も無く、編成先頭へ。急がないとEF81形はすぐに回送されてしまうのです。

雪の中ここまで引っ張り上げてくれた機関車に感動していると、客車からの切り離し作業が完了。電気機関車らしい力強い音を立てながら走り去るEF81形を見送ります。

編成の反対側には入換用のDE10形ディーゼル機関車が連結。白雪の上に赤・青・緑と中々美しい色のコントラストとなっていました。そんなあけぼのも白鳥も、もう青森駅に来ることは無くなってしまいましたが。悲しいですが、半日かかった上野→青森が今や3時間なんですから、新幹線は凄いですよね。
2013年12月18日
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

本州最果ての駅である青森駅。奥羽本線と東北本線*6がYの字型に分岐する末端駅のはずですが、北方には不自然に伸びる線路が。その線路を辿っていくと、白と黄色の鮮やかな船体に繋がります。これぞ、かの有名な青函連絡船の博物館船、八甲田丸です。そしてこの線路こそ勿論、線内に車両を載せる際に利用した可動橋であり、現役時代はこの線路を通って列車は青函連絡船に乗り北海道へと運ばれていったのでした。短いようでとても長く繋がっていた線路なのですね。

ちなみに八甲田丸の前には、かの名曲「津軽海峡・冬景色」が爆音で流れる石碑が建っており、「上野発の夜行列車」を降り「連絡船」に乗り継いで津軽海峡を渡った時代を、歌として現代に語り継いでいます。

さて、そんな八甲田丸は対岸の摩周丸と同様に博物館として見学可能であり、往年の青函連絡船の歴史を伝え残しています。というわけで、さっそく入館(乗船)していきましょう。

函館にある「摩周丸」を訪れた際の記事はこちら。


摩周丸の際にも書きましたが、八甲田丸は青函連絡船の「鉄道連絡船」としての側面が強調された展示。その中での見所はやはり車両甲板でしょう。空間の限られる船体内に敷かれた線路、その上に車両基地のように所狭しと並ぶ鉄道車両*7は、青函連絡船の特殊さを端的に表しているでしょう。重量を分散させる目的の控車の存在を、ここで初めて学びました。

鉄道車両ごと北海道に航送した青函連絡船。そのロマン溢れる設備を間近で見学できるこちらの記念船は、訪れて損の無い施設だと思います。私が生まれた頃には既に青函トンネルがあって、トンネルを鉄道が通るのは当たり前だったのですが、昔はわざわざ船に載せて運んでいただなんて凄いですよね。

特急つがる6号:青森(1337)~秋田(1618)

青森駅を味わったところで、そろそろ帰路につきます。新青森駅から素直に「はやぶさ」に乗れば良いのですが、せっかくの東北遠征なので特急「つがる」に乗り再び奥羽本線を上ります。今朝通ったばかりなのにね。「つがる」の車両であるE751系はもともと「スーパーはつかり」だった印象が強いですが、いつの間にか*8「つがる」用になっていました。というかそもそも、この区間の特急って「かもしか」*9だったような……。そんな「つがる」にも上位種「スーパーつがる」が誕生する時代。これからの東北都市間連絡特急はどうなっていくのでしょう。

今回は乗りませんが(結局最期まで乗ったことがありませんが)485系「白鳥」を見送って、特急「つがる」に乗車。乗車率はそんなに高くはなく、ただでさえ音が吸い込まれる雪原を、静かに淡々と走って行きます。

行きは朝日の中見た景色も、傾き始めた昼過ぎの陽が柔らかく包み込みます。レールを跨ぐ音と、JR東日本特急特有のやけに響く自動放送が、雪の中染み入るように空気を震わせました。隣の県といえど意外と遠い青森~秋田。窓から射し込む陽が朱みを帯びてきた頃、終点秋田駅に到着です。新幹線*10の始発でもある秋田駅は多数のホームを抱え、青森駅とはまた違った北東北のターミナル駅としての風格を纏っていました。

スーパーこまち16号:秋田(1710)~東京(2108)

標準軌に切り替わった新幹線ホームを見やると、秋田美人ことE3系こまちの姿が。いやーこまち塗装のE3系は白雪の上の映えますよね。でも今回はこのこまちは見送って。すっかり陽も落ちた17時過ぎ、秋田新幹線ホームに降り立つと、E6系「スーパーこまち」が入線していました。

秋田新幹線がE3系からE6系に置き換わるこの過渡期、E6系で運転される列車は「スーパーこまち」と名乗っていました。まあスーパーといってもまだ最高速度は300 km/h*11に制限されていて、このスーパーこまち16号*12に関しては所要時間は1分くらいしか短縮されないのですが……。

生まれて初めて乗るE6系。その初回はVIEWポイントを使ってグリーン車に乗車しました。E5系と異なり車幅も狭く「ハズレグリーン」とも言われるE6系グリーン車。とはいえ当時はまだドリンクサービスもあり、コーヒーと共に「特別なひととき」を味わえました。

わざわざ秋田回りで帰るのもこの列車に乗るため。もの凄い速度でE6系の増備が進む中*13、「スーパーこまち」の列車名に乗れるのも今だけだと思われたからです。というわけで指定券の画像もupしたいところなんですが、大事にしまいすぎてどこに保管してあるか記事執筆時には見つけ出せず……。E8系導入時には「スーパーつばさ」も誕生するかと思われましたが、そんなことはありませんでしたね。速達タイプとは限らないからかな。

そんなE6系は盛岡でE5系はやぶさと連結すると、東北新幹線を300 km/hで疾走。秋田駅から約4時間、東京に帰ってきました。

おわりに

12時間以上かけて東京と青森を結んだ寝台特急「あけぼの」。ヒルネといった地域輸送と夜行による広域輸送が共存したその形態は、古き良き長距離列車の趣がありました。まあ、系統分離による効率化がもて囃される現代、だからこそブルートレインは廃れたというのもあるかもしれませんが。とはいえ昨今流行るクルーズトレインと異なり、「途中から乗れて途中で降りられる」一般の夜行列車というのは、利用者側の自由度が高く、かけがえのない存在だったと思います。朝6時台の秋田に着くことなんてもはや不可能ですしね。
どんなに狭いベッドでも、夜行バスと異なり「フルフラットで眠れる」というのは個人的には大きな差別点。個室ならプライベートが確保されるのもgood。というか夜行バスのドライバー減少問題もある中、夜行列車の復権はあっても良い気がしますけどね。朝の東京に突っ込みたくないなら、大阪~仙台とかで夜中の内に東京を通過するとかさ……。コストのかさむ交直流電車を作りたくない?夜間の保線・貨物列車の邪魔??そっかあ……。
文字通り人々の夢を乗せたブルートレイン。今は歴史上の存在になってしまいましたが、しっかりと心の中に残っています。最後までお読みいただき、ありがとうございました。